2009/11/26
Hokkories
2009/07/23
雨 上がる
2009/07/22
漁村の人
2009/07/21
漁村を歩く
2009/07/19
故郷を撮る

誰でも自分の故郷には愛着があると思います。
僕は幸か不幸か、生まれてから今日までの時間のほとんどを同じ場所で過ごしてきました。
少しの飾りっ気もない、押しも押されぬ下町ですが、長いこと住んでいると、やはり快適に思います。
いつの頃からか、この育った場所を撮り歩いてみたいと思うようになりました。
しかし時間ができればついつい遠くの絵になる場所に出かけてしまい、今日まで来たのです。
今日、西日が傾き始めたころ、雲に覆われていた空がぽっかりと晴れ間を見せました。
ふと、カメラを持って散歩に出ようと思いました。
ここ最近の僕はとにかく何でも撮りまくりたいと思っていたところだったのです。
かねてからの故郷撮りを今日実行することにしました。
以下に掲載する写真はなんの工夫も無い、
とても平凡な写真です。
つまらない内容だとは思いますが、それでもよろしければ、
おつきあいください。

我が家から少し歩いたあたりの道です。
子供の頃、この辺で遊んでいたのを思い出します。
写真では見えていませんが、右側には藪があり、
この時期の夕方は虫がよく飛び交ってました。
近くで「うー」と小さな声を出すと、
虫が過敏に反応して、それを見て喜ぶというアホな遊びをよくしていました。

さっきの道から7、8分ほど歩くと小さな町工場の集まる場所に出ます。
今日は祝日なのでお休み。誰もいない軒先に傾いた影が落ちていました。

その工場から300mほど歩いたところに、怪しい家が立ってます。魔女が棲んでいます。
ウソです。喫茶店です。入ったことありません。

このおじさんは自分ん家の雑草を抜いているだけなんですが、こうして撮ると不審者のように見えますね。ちょっといじわるな撮り方をしてしまいました。ごめんなさい。

近所には神社があります。
まっすぐ歩けば10分くらい。
いまでは歩いてもなんてことない距離ですが、
子供のころは自転車に乗ってでかけても、道に迷ってなかなかたどりつけず、帰ることもできず、
とても困ったのを覚えています。
あたりは家屋の並びがとても入り組んでいたのですが、
いまではとてもすっきりしてしまっています。
今日通りかかった時は風が強く、風に乗った夏のにおいを感じたように思いました。

先の神社を含めた、この辺の入り組み具合の一端がお分かり頂けるでしょうか?
とにかく迷路のような道が続きますが、とりあえず進んでいるとちゃんと抜けることができます。
正面向こうにそびえるのは生駒山脈です。
子供のころあそこまでチャリで行くのが友人たちとのブームでした。
めちゃくちゃ疲れましたが。

朝顔です。当然夕方にはしぼんでいます。これらの花が再び開くことはないのでしょうが、
また違う花が明日に咲くはずです。
子供のころも今も、身近にある花です。

近くには田圃があります。
ここにも風が吹き抜けていました。
昔はここに泳ぐカブトエビをよく捕まえたことを思い出します。
時にカエルなども。
電線がないので、冬にはここでタコをあげました。
足場が悪いのでよく転びましたが、気にせず駆け回っていました。
そういえば、違う田圃ですが、水をいれたての田圃を幼い浅はかな心で、
近道するために横断しようとして足を踏み入れ、抜けなくなって動けなくなったことを思い出します。
田圃を耕すおばちゃんに救出され、すごくはずかしい思いをしました。
ほんとうにアホな悪ガキだったと思いますが、
友達なんかはもっと悪党で、水をはった田圃の水を抜いて、
農家さんにこっぴどく叱られていたことがあります。
とにかくそんなクソガキが多い下町なのです。

たまには地元の散歩もいいものです。
いろんなことを思い出しながら歩きました。
そろそろ帰路に着くことにします。
僕の今の住まいは何百mか離れていますが、かつて育ったこのあたりは3丁目になります。
ここで夕焼けになれば3丁目の夕日なんですが、
今日は3丁目の夕日は見ることができませんでした。
このあと、雲が鈍く色づく中をのんびりと家路を歩いて行きました。
気持の良いひと時でした。
また気が向いたらやりたいと思います。
つまらない記事ですみません。
おつきあいいただいた方、ありがとうございました。
- END -
2009/07/19
湿度
最近地下鉄の駅で等伯の松林図のポスターを見かけます。
松林図といえば、昔ギャラリーフェイクという漫画で、
湿度を描いた傑作だと書かれていたのを思い出します。
まったくその通りです。
水墨画では薄墨を用いて、色づけした部分と何も描かない部分、
これらを溶け合わせることで、奥行と空気感を盛り込んでいます。
この空気感こそが湿度に他なりません。
等伯に限らず古の絵師たちは皆、
湿度というフィルターの向こうに自然の姿を見ていたのだと思います。
絵師たちが多く集まった当時の都京都は、
盆地特有のとにかく蒸し暑い気候であることも、影響していたことでしょう。
時代を追うごとに薄墨の湿度は金粉で、そして金泥で塗りつぶされるようになり、
奥行どころかなんとも圧迫感のあるケバケバしいスタイルが主流となっていくのですが、
それ以前の水墨画は見ていてしみじみと感じるものがあります。
華々しい油絵にはない、いぶし銀の味。日本人のDNAがそれに呼応するのかもしれません。
ところで、最近海外の写真ブログをよく見ます。
みんなうまいです。
軽くショックです。
ですが、どこか違和感も感じます。
海の向こうではとにかく濃い目の色がはやりのようです。
時に自然から大きく逸脱したCGのようなものまで。
ここに少し違和感があります。
とはいっても、もちろんこれらを否定するものではありません。
これは、日本とは違った歴史の中で形成された、
好みや価値観によって生み出された作風だと思います。
どちらがいい悪いではない、どちらもいいものです。
ただ、せっかく日本に生まれた僕が写真を撮るならば、
たまには油絵もいいですが、水墨画の渋さを写し込みたいと思っています。
からりと晴れた青空ばかりでなく、立ち込める湿度を表現したいと考えています。
先人達は素晴らしい視点を残してくれました。
雨はうっとおしいばかりのものではなく、湿度は不快なばかりのものではありません。
太陽が雲に隠れ、薄暗くなり、色が淡くなった景色のその中に、しっかりと主張する情緒があるのです。
それらを少しでも感じ取りながら、写真を撮りたいなあ、と、思います。
まだ梅雨の明けないこの時期、湿度を写すチャンスはたくさんありそうです。
日本人として日本の気候を写し、日本特有の空気を表現したいですね。
松林図といえば、昔ギャラリーフェイクという漫画で、
湿度を描いた傑作だと書かれていたのを思い出します。
まったくその通りです。
水墨画では薄墨を用いて、色づけした部分と何も描かない部分、
これらを溶け合わせることで、奥行と空気感を盛り込んでいます。
この空気感こそが湿度に他なりません。
等伯に限らず古の絵師たちは皆、
湿度というフィルターの向こうに自然の姿を見ていたのだと思います。
絵師たちが多く集まった当時の都京都は、
盆地特有のとにかく蒸し暑い気候であることも、影響していたことでしょう。
時代を追うごとに薄墨の湿度は金粉で、そして金泥で塗りつぶされるようになり、
奥行どころかなんとも圧迫感のあるケバケバしいスタイルが主流となっていくのですが、
それ以前の水墨画は見ていてしみじみと感じるものがあります。
華々しい油絵にはない、いぶし銀の味。日本人のDNAがそれに呼応するのかもしれません。
ところで、最近海外の写真ブログをよく見ます。
みんなうまいです。
軽くショックです。
ですが、どこか違和感も感じます。
海の向こうではとにかく濃い目の色がはやりのようです。
時に自然から大きく逸脱したCGのようなものまで。
ここに少し違和感があります。
とはいっても、もちろんこれらを否定するものではありません。
これは、日本とは違った歴史の中で形成された、
好みや価値観によって生み出された作風だと思います。
どちらがいい悪いではない、どちらもいいものです。
ただ、せっかく日本に生まれた僕が写真を撮るならば、
たまには油絵もいいですが、水墨画の渋さを写し込みたいと思っています。
からりと晴れた青空ばかりでなく、立ち込める湿度を表現したいと考えています。
先人達は素晴らしい視点を残してくれました。
雨はうっとおしいばかりのものではなく、湿度は不快なばかりのものではありません。
太陽が雲に隠れ、薄暗くなり、色が淡くなった景色のその中に、しっかりと主張する情緒があるのです。
それらを少しでも感じ取りながら、写真を撮りたいなあ、と、思います。
まだ梅雨の明けないこの時期、湿度を写すチャンスはたくさんありそうです。
日本人として日本の気候を写し、日本特有の空気を表現したいですね。
2009/07/18
暮色@キッチン











